エロゲーを作る覚悟はあるか?

まずは定義から考えてみよう

いきなりタイトルを見て引かれる諸兄もいるかとは思うが、今日の話題はいわゆるエロゲー美少女ゲーム)である。私自身、エロゲーの開発は幾度としているし、また出版企画としてそれを題材に本を作ることも多い。実は、現在もエロゲーを主軸においた本の企画が進行中であり、それのリストアップを見て前々から感じていた疑問が頭をもたげたのである。


そもそも、エロゲーとは何だろう? 私自身におけるエロゲーとは

性的表現・描写を目的とし、遊ぶ人間に劣情をもよおさせるゲーム

と定義している*1
例えば、割と最近だとコナミPS2版『ネギま!』が、パンチラオンパレード、その他にも明らかに「大きいおともだち」を狙ったと思われる表現で、CERO倫の18推奨レーティングで発売されたのは記憶に新しいところ(http://blog.livedoor.jp/uirou/archives/12670657.html)である。確かに劣情をもよおさせる演出が多々あるのは事実だが、『ネギま!』自体は性描写があるわけでもないし目的ともしていない。つまり、エロゲーではない、というのがあくまで私の解釈である。


エロゲーを作っているつもりはないと断言するエロゲー会社

さて、そこに来て疑問に感じるのはさっき言った定義に合致しない、おおよそエロゲーとは呼べないゲームが、ソフ倫のシールを貼って18禁の棚に並べられて販売されているという事実だ。とりわけここ4〜5年の傾向として、PS2やDCへの移植を前提として、エロ描写を簡単にオミットして発売できるように開発されたゲームの何と多いことか。もちろん、それらの需要が多分に存在しているし、市場として形成されている事実を否定するつもりはないが、「エロゲーを作っているという自覚を持っているか?」という一点に疑問を感じるのだ。


事実、「エロゲーを作っているつもりはない」と言い切るメーカーやクリエイターは多い。本来は一般向け市場に向けたタイトルを開発したいにもかかわらず、開発力、資金力の問題で比較的安価に開発できるエロゲーに走るメーカーもあるし、パッと見の見た目が同レベルなら、エロ描写のあったほうが売れるという理由で申し訳程度のエロを追加するというケースもある。そもそも、今の日本のPCゲーム市場で一般・全年齢向けはコーエーファルコムなどに代表されるごく一部のメーカーを除いてほとんど売れないという現実がある。少なくとも、日本のPCゲーム市場では「エロのない美少女ゲームはまず売れない」というのはごく一部のタイトルを除く不文律なのだ。


エロゲー性教育の場と自覚せよ

だが、そのいびつな市場の中で一番迷惑を被っているのは、実は青少年だと私は思っている。タテマエとしてエロゲーは18歳未満は購入できないことになっているが、AVやビニ本で容易に想像できるように、18歳未満でも何気に容易に入手できている。特に男性諸氏ならば、中高生時代に美少女ゲームに限らず、ドキドキしながらエロ本やビデオを買ったり貸し借りした経験があるはずだ。
私は18歳未満は遊んじゃイカン!と言ってるんじゃない。むしろ、親に隠れて大人の世界をいっぱい垣間見て欲しいと思う。なにしろ、親も学校もきちんと性教育も出来ない国なのだ。情報源がこういったエロメディアなのは至極当然といえる。
ただし、ここで重要なのはエロゲーを作る人間はその自覚をはっきり持つ必要があるということ。現在巷にあふれているヌルいエロゲーを見て「大人の世界だから子供は見ちゃだめ」と言えるだろうか? 作り手側にエロと向き合う自覚と認識が足りないのではと思うのはこの部分である。エロゲーを作るということは、まさに性教育だ。次世代の青少年が大人になって日本の消費と市場を支えるときに、稚拙な性意識を持たぬようにすることは義務と考えろと言いたい。

最後に一つたとえ話。「童貞がエロゲーを作った場合、それを見て育った青少年はどんな大人に育つんだろう?」 作り手に携わる人間は、この言葉の意味を考えてみて欲しい。

*1:はてなでは、性描写の多少に関わらず18禁と定義されるものはみなエロゲーという解釈のようだ。では、18禁とは何なのだろう?調べてみると暴力描写も含まれている。はてな的解釈では暴力ゲーもエロゲーなのか!?