音楽のある生活

iPodのある生活

先週行われたソフ倫の新年互礼会のビンゴでiPod miniを当てて以来、最近音楽づいている。もともと、普段公私において音楽を必要としない人間なので、社内に流れる有線に耳を傾けることもほとんどないし、ここ最近のiPodをはじめとするデジタルオーディオプレイヤーにも特別興味は持っていなかった。確かにiPodのデザインはクールだし、iTunesの使い勝手の良さもいろいろ聞いてはいたが、わざわざ自分で金を出してまで欲しいとは全然考えもしなかった。が、こんな私でも状況が一変すれば変わるもので、最近はどこにいってもiPod miniを持ち歩いている自分に気が付いた。いいじゃん、これ。

音楽がないと仕事がはかどらないという人はよく聞くが、私にとってはむしろ邪魔な存在になる。ボーカルのあるなしに関わらず、集中しているときに何か聞こえてくると言う状況が我慢できないのだ。私がゲーム会社で開発に携わっていたときは、わざといつも早朝出勤して一人で作業していたくらいだ。
だから、音楽づいていると言っても四六時中ではなくてもっぱら移動時間。これもまた良し、である。


悠久の大地でガンダーラ

公私含めて海外(といってもほとんどアジア圏限定だが)に行く機会の多い私は、とかくザウルスにお世話になることが多い。1991年に買った電子手帳PA-8800以来だから14年に渡って脈々と使い続けている。今数えてみれば、その間に買った機種の数が現在のSL-C760までに12機種! よくもまあ買い換えたり、である。
MI-E1以降大幅にエンタテインメント方面に機能強化されたザウルスは、MP3をはじめインターネットブラウザやメール端末、ゲームなどさまざまに活用している。最近はNintendo DSに間違われるのか、電車の中で使っているとその辺の子供が画面を覗き込もうとする場面もしばしばだ。
そんなわけで、iPodがなくても一応はこいつで用は済むのだが、音楽プレイヤーとして重宝したのは中国大陸を移動していたときだった。

もう2年位前の話になるが、所用でハルビンから方正県、瀋陽あたりを延々と長旅していたことがある。全部、北朝鮮の国境に近い中国大陸の北の方で、瀋陽は日本領事館に脱北者が駆け込む報道が幾度とされたので、地名を聞いたことがある御仁も多いかもしれない。余談だが、このあたりの旅の成果はこちらの本に生かされているので、興味があればご一読いただきたい(なんだかまた宣伝くさい内容だな)。

北朝鮮憲法を読む―知られざる隣国の法律

北朝鮮憲法を読む―知られざる隣国の法律

話が少々脱線してしまったが、中国と言っても田舎の方になると交通手段はほとんど自動車に頼らざるを得ない。飛行機も便数が少ない上に時間が不正確なので、確実な手段となると車での旅になってしまうのだ(なにしろ飛行機の待ち合わせで半日、1日はあたりまえ!)。舗装もろくにされていない道路を砂埃を上げて昼夜問わず地平線を眺めながら走り続ける。信号もなければ対向車もほとんど通らない、ただひたすらの空虚の時間。これが悠久の時というやつなのだろうかと当時は思ったものだ。


そんなときに思い出したのが、たまたまザウルスに入れていたゴダイゴのベスト版MP3のデータである。ミュージックプレイヤーを起動すると流れ出したのはガンダーラ。胸に染み入るような気持ちになった。シルクロードではないにせよ、ただ疾走する車の中で先人たちの苦難の旅に思いをはせる。10数時間、ただ繰り返し、繰り返しガンダーラを聞き続けた。音楽のある生活、心に染みる「音楽」というものを体験したのはこれが初めてだった。


音楽を生み出した人類文化に乾杯!

実は、そのゴダイゴのデータは真っ先にiPod miniに転送して、その他数多の曲と一緒に聞いている。今でもガンダーラが流れると、その当時の記憶が蘇ってなんともいえない不思議な気持ちになる。
音楽の力は偉大なもので、かける曲によっていつも歩いている道の空の色が違う気がしてくる。これほどまでに普段音楽を聴かなかった私の認識を変えてしまうくらいだから、その影響力はかくや。そんなライフスタイルを提唱し、また築き上げてきた先人たちに惜しみない拍手を送りたい。
でも、あれほどまでに強烈な音楽体験はそうそうできないんだろうなぁ。