外国籍職員訴訟について考える

なぜ管理職になれない?外国籍職員訴訟

鄭香均(チョン・ヒャンギュン)関連の話題が各所で盛り上がっている。実は、これについて一言物申したいというのが、ブログを立ち上げる直接の理由だったため、数日遅れながらこの話題を取り上げてみたい。


ニュースのあらましを書くとこうだ。在日韓国人の鄭氏は東京都の看護士であり、管理職の資格試験を受験しようとしたら「日本国籍がない」という理由で受験拒否された。なぜ日本人じゃないというだけで差別されなければならないのか? それを世に問うために裁判に踏み切ったというもの。結果は、1審は敗訴、2審で逆転勝訴したものの、26日の最高裁でさらに逆転して東京都の判断を支持する判決、つまり原告の敗訴が確定した。


http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050126it11.htm


外国人雇用問題が話題になることは多々あれど、なぜここまで大事になったのか? それは、都の看護士……すなわち「公務員」であるという点にある。失礼ながら、原告の鄭香均は公務員というポジションがどういうものであるかを理解していないとしか思えないのだ。


主権をも揺らぐ危険性

恥ずかしながら、私はこの一連のニュースが報道されるまでは外国人を公務員として採用しているという事実すら知らなかった。しかも、外国人であるというスキルを前提にした特別枠ならともかく一般職で。どこの世界に公務員に外国人を採用する国があるのだろう?
公務員は言うまでもなく行政や司法という三権分立の一翼を担う職である。言葉を変えれば、他国の侵略をも合法的に可能にしてしまうポジションといえるだろう。大げさと思う方もいるかもしれないが、想像してみて欲しい。いかに優秀な人材とはいえ、特定の国の外国人が、地方自治体の職員のほとんどを占めてしまったら、そこはもはや日本といえるだろうか? 少なくとも、主権国家として日本人が主権を持つ地域ではなくなってしまう。公務員の外国人雇用はこういった危険性もはらんでいるのだ(外国人参政権問題も、同様の危険性があるため私は反対)。


「そんな馬鹿なこと現実にするわけないじゃないか」


法律に明文化されていないという理由だけで、管理職になれないと訴訟を起こす人間を目の当たりにした今、そう言い切れるだろうか。少なくとも、雇用や職制上の配置に制限を設ける東京都の判断は至極常識的なものだと私は思う。
それでもなお、どうしても日本で公務員として働きたいというならば、すでに他の方々が述べているように日本国籍を取ればよろしい。鄭氏は在日韓国人の2世で、日本人への帰化申請の要件はすべて満たしている(犯罪暦までは知らんが)。そもそも、公務員は「国家、国民に奉仕する公務をする職」である。韓国人であり、韓国籍を捨てる気はないけど日本国に奉仕したいというのは変じゃないか?
鄭さん、あなたは本当に日本国および国民に奉仕する気持ちはありますか?


鄭香均が残したもの

これだけなら鄭氏個人の話なのだが、問題の根っこは別のところにある。いわば「在日」に対するイメージの悪化、ひいては韓国人に対するイメージの問題だ。同胞のために、次世代を担う子供のためにというお題目で起こした訴訟だが、それならば凛として範を示すべきなのではないだろうか。同氏は最高裁の判決後に記者会見を開いていたが、そこで出た言葉は自分のエゴが前面に出た、いわゆる義務を果たさず権利だけを声高に主張する無責任極まりないものだった。自分の主張が認められず都政を非難して捨て台詞を吐く。とても、人や国に奉仕する公務員たる態度とは考えがたい。
また、鄭氏は「『日本で働かないほうがいい』と外国籍の人たちに言いたい」とも発言している。これは、立場は各々違えど異国の地で働いている外国人に対してあまりに愛がない言葉ではないだろうか。あの一言以来、職場で白眼視されている在日同胞も数多くいるだろうに……。
在日韓国人の方が運営されているサイトでも案の定、話題の焦点。それぞれにコメントは割愛するが、同胞に対する複雑な感情がよく伝わってくる。


http://korean3rd.seesaa.net/article/1723771.html
http://d.hatena.ne.jp/lovekorea/20050125
http://cheds.exblog.jp/


国籍は違えど、自分の生まれ育った国を愛する心はすばらしいと私は思う。でも、鄭氏の言葉の中には韓国に対しても、日本に対しても愛を感じられなかったのは私だけだろうか。
在日外国人の方々のほとんどはきわめて冷静にこの報道を見ていると思うが、この一連の報道に端を発する心無い一部の悪感情に負けずに頑張って欲しいと思っている。